「まずは手ごろな水槽などを用意し、満月の夜に降った雨を集めます。
そこに塩こしょう少々、モンシロチョウのりん粉0.1mg、キャラ缶ポーション20ml、
さくらの花粉0.5mg、綿の実1つを入れてよくかき混ぜます。」
ローザがレシピ片手になにか作っている。
「つまんなーい」
「途中で投げるなよローザ。」
「だって、小さい脳みそしかできないんだもん。これカインにあげる」
もらってもあんまり嬉しくないが。
俺は雨水がたっぷり入った40センチ四方の水槽を抱いて自宅に帰った。
この時俺は11歳。
玄関先では父上が槍バッグの確認をしている。
「5番アイアンの飛距離に問題があった。バロンマスターズオープンは絶望的かもしれん。」
「父上、セシルを育ててもいいですか」
「ああ、あんまり日に当てるなよ」
父上はプロ竜騎士で、子育てには興味がない。
「明日の7番ホールで大体の目安がつくだろうが・・・」
自室に戻ってセシルの様子を見る。
水の中には梅干しくらいの大きさの脳みそがぷかぷか浮かんでいて、
その周りを乳白色のふにゃふにゃした膜がとり巻き始めていた。
俺はレシピの続きを読む。
「毎日優しい言葉をかけてあげてください。良いセシルになります。
罵詈雑言、特に“ハゲ”という言葉を多用すると悪いセシルになります。」
なんだこりゃ。
「ハーゲ」
俺は本に書いてある通り、ニレの木で作ったスプーンで水をかき混ぜながら育成の呪文を唱えた。
「ハーゲ」
10日ほどすると、ふにゃふにゃした膜は人間の形を取り始めた。
「この頃になると、熱帯魚用の乾燥えさやイトミミズなどを食べるようになります。
可能ならば生のプランクトンを与えてください。つやがよくなります。」
「ハゲ」としか言ってないにも関わらず、わりと良いセシルができた。
動きは緩慢で色も青白いが、体長は10センチと標準サイズだ。
もっとも、正しい育て方をすれば水の中で踊ったり、水面から顔を出して「好きー」と言ったり、
指にキスしたりするらしいが、そもそも俺はセシルにそれほど多くを求めていない。
「お前のために買い物に行くのなんかめんどうだからな、これでも食ってろ」
食べかけのシリアルを何枚かスプーンですくって水槽に入れると、セシルは死んだ魚のような目をしたまま両手で掴んでもそもそと食べはじめた。
「なに、お前もセシルを作っておるのか、カイン」
「ハア、まあ、成り行きで」
バロン国王は小学校の校長も兼任しており、校長室の掃除当番が回ってくると必ずおしゃべりの相手をしなければならない。
国王陛下の話はいつも退屈だ。
「あれは実に神秘的で愛しき生物だ。ちょっとわしのセシルを見るかカイン」
「はァ・・・」
校長室の奥にはクリスタルルームと呼ばれる部屋があって、国王以外は立ち入り禁止である。
俺は国王陛下と一緒に部屋に入って驚いた。
そこには50を超える水槽が並んでいて、すべての水槽に丸々と肥え太ったセシルが入っていたのだ。
「ヘイカー」「ヘイカー」「ヘイカー」
国王陛下の足音を聞いたとたん、セシルたちが一斉に鳴きだした。
あちこちで水がはねる音がする。
「ヘイカすきー」「すきー」「すきー」
「チュッ」「チュッ」「チュッ」
「どうだ、可愛いだろうカイン、ピッチピチだろう。」
どうだ、と言われても・・・。
俺は指にキスをさせながら自慢げにセシルからセシルへと渡り歩く陛下を遠い目で見ていた。
「セシルとセシルを交尾させたらセシルがもっと増えるかと思ったのだが・・・」
「突然なにを言い出すんですか、あんた。」
「増えなかった。」
「そうでしょうね」
「それ以前に交尾もしなかった」
「そうだと思います。」
栄養状態がすこぶる良いらしく、ピンク色の頬はツヤツヤしている。
俺が作った陰気なセシルとは雲泥の差だ。
「はかない生き物だよ・・・。セシルの平均寿命は2年半だが、わしは3年生かしたことがあるぞ。
育て方が良い証拠だ。」
「はあ、そうですか。」
「一番大事なのは毎週水を換えることだ。新月以外の月夜の晩に降る雨水でなければならん。
あとは愛情と良いエサだ。これを怠ると悪いセシルになる。」
悪いセシルって一体何なんだろう?
うちのセシルのようなセシルのことだろうか?
ピチピチに生きが良い陛下のセシルを見ているうちに、自分のセシルが気の毒になってきた。
「羞恥心を身につけ出したら危険だぞカイン。悪いセシルの始まりだ。
あの無邪気にぷらぷらさせているものを隠し始めたら容赦なく川に捨てろとレシピにも書いてある。」
「あ、その本なら持ってますから。」
俺は不安になった。
学校から帰ってすぐにセシルの水槽を覗くと、彼はシリアルを器用に折り曲げてパンツのようにはいていた。