ガストラ皇帝が帝国首都をベクタに移したのは、ほんの20年前のことだった。

 

「ここには中庭がありました」

ケフカがピカピカ光るブーツの先で鋼鉄の床を叩いている。

私は首をかしげる。

息が詰まるような金属と、よどんだ空気の匂いしかない廊下のちょうど真ん中。

無味乾燥な灰色だけのこんな場所に、かつて輝く噴水と色とりどりの花畑があったことなど想像もできなかった。

大体、私はそんな場所を物語の中でしか知らない。

 

「私・・・わからない」

「ティナが生まれる前だものね」

彼は弱弱しく微笑んで、物思いにふけりながらまた歩き始めた。

普段は飛ぶように早歩きのケフカも、私と一緒の時はゆっくり歩く。

この10年で私の背たけが伸びたことにまるで気付いていないようだった。

 

「ここには王子様の馬小屋がありました」

10年前から同じ散歩コースなので、女子トイレに案内された時も別に驚きはしなかった。

「・・・トイレにしやがって」

ケフカは必ずここで1回水を流してから立ち去る。何のためなのかは知らない。

たまたま居合わせた女性職員が悲鳴を上げた。

 

もともとこの地にはベクタ地方を治める領主の居城があったが、領主がガストラに敗れた後は城ごと占拠されたと習っている。

私はいつものように堅牢な石壁に守られた古いベクタ城と、馬を駆る若い王子の姿を思い描こうとしたが、やはり上手くいかなかった。

 

それでもケフカがたまにしてくれる、このおとぎ話めいた話を私は好んで聞く。

こうやって散歩する時だけは彼がまともな人間に見えたからだ。

 

「さて、次は王子様が大好きだったばあやの部屋ですよ」

ケフカがゆっくりと歩き始め、私もついていく。

やがて辿り着いた帝国城の外の空気も澄んでいるとは言いがたく、魔導研究所に近づくごとに空が濁って見えた。

 

「ねえ、ケフカ」彼のマントをひっぱって聞く。

「うん?」

「その王子様って・・・」

 

私がそう言いかけたとき、魔導研究所の機材搬出口から大きな白い塊が飛び出してきた。

それは絵画の中で見た馬にそっくりだったが、魔導研究に使われたらしく点滴の管を何本か通したまま波打つように激しく暴れている。

それは、まっすぐ私たちの方へ走りこんできた。

 

「きゃ・・」

私は、体がすくんで動けず目を閉じて立ち尽くした。

殺される・・・。

どれくらいそうしてたろう。

 

「ティナ、ティナ」

頭上から声がした。

「もう大丈夫、おびえていただけですよ」

おそるおそる顔を上げるとケフカが馬上にいて、落ち着かせるためにしきりに白馬の肩を叩いていた。

 

「馬に乗れたの?」

「失礼な。ぼくは何にでも乗れるよ」

彼は大げさに傷ついた顔をして手を差し出し、私を馬の背に引き上げる。

 

「ケフカさま、やめてください。その馬は実験体です」

遅れてやってきた研究員たちが止めに入ったが間に合わなかった。

ケフカはいつもの冷酷な顔に戻っていて、研究員たちを一瞥すると私を後ろに乗せたまま馬を走らせた。

 

はじめは怖くてマントにしがみついていた私も、風のように馬を操る彼に安心して辺りの景色に気を配れるまでになっていく。

暗い帝国城を抜けて、いちじくの木と魚が住む小川を通り抜ける。

ケフカのおとぎ話の中でしか知らないベクタ城を囲む自然だった。

 

「ねえ、ケフカ」

「うん?」

「ベクタの王子様って死んだの?」

森の中でぴたりと白馬が止まる。

 

「もちろん死んだよ」

それが私たちの最後の散歩になった。

 

 

「ここには中庭がありました。」

私は崩れたがれきの中をひとりで歩く。

聞いてくれる人は誰もいないけれど、今では鮮やかに心の中に思い浮かべることが出来る。

古いベクタ城と馬を駆る王子の姿。


(2008.8.15)





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