09 昨日見た夢
小さい頃からばらが好きだった。
だから、きれいなローズガーデンを見つけると、立ち止まらずにはいられない。
私は普通の女の子で、スポーツが好きで、週に3回塾に通う受験生。
ごく普通で人と変わりない毎日。
悩みといったらこの冬の大学受験のことぐらい。
なのに、時々不思議な夢を見る。
たくさんの戦いと、人の死と、大事な人との約束。
とても大事な約束だったのに、その相手も、その内容も思い出せないまま目覚める。
「ばらが欲しいの?」
「え?」
塾の帰り、いつものように回り道をしてばらがきれいな家の庭を見に行った。
お気に入りの庭なのに、誰が住んでいるかは分からない家だった。
「あの、きれいだったから、見てただけです」
「あげるよ」
初めて見たその家の主人は、私が想像していた上品な老婦人とは全然違っていて、まだ若い、華奢な男の人だった。
その人は、高価そうな花を慣れた手つきでパチパチと切り取って、私が傷つかないように何重にも紙で巻いて束にしてくれた。
「君のために育ててきたんだ」
そんなセリフをさらりと言う。
そんな人を私は昔から知っている。
「ドライフラワー?」
「きれいでしょ?もう何週間も前に人にもらったの」
「男の人?」
「うん、まあ」
私の部屋には不釣合いなくらい大きな花束をあの人はくれた。
友達はばらの香りがきつすぎると言う。
でも、私には懐かしい匂いで、約束を思い出させてくれた。
「私は、切り花じゃいやだって言ったの」
「それで急に猛勉強を始めたの?」
「そう」
「その人が大学の先生だから?」
「そう」
「よく分かんないよ、花束もらったくらいで恋しちゃうなんて。一回会っただけなんでしょう?」
昔の彼は誕生日のたびに切り花をくれたけど私は不満で、死んだ花なんかいらないって言った。
本当はもっと形の残るものが欲しかっただけなのに、私はどうしても上手く伝えることが出来ない。
彼が精神を病んでいくことにひどく焦っていたから。
その冬、私は志望校のランクを2つ上げて彼が教える大学を受験した。
「先生、また庭を見せてください」
「うん、いいよ」
にっこり笑うその人の瞳には、もう昔の闇は映っていない。
初めて会ったころの懐かしい優しい笑顔のままだった。
「君が切り花を嫌っていたから、自分で育ててしまったよ」
「・・・アンタ、バカでしょ。私はばらの株を欲しがってたんじゃないよ」
つい、昔の口調で言ってしまう。
思わず笑わずにはいられない。
「でも、ばらのおかげで君はぼくに気づいてくれたよ」
彼にとどめを刺したのは私。
体が闇の中に消えていく直前の彼はとても安らかそうで、私だけにささやきかけてくれた。
「次こそはじめからやりなおそうね」
あれから何年かが経って、私はいつものように彼の庭でばらの手入れをしている。
私たちに与えられた未来は望んでいた以上に希望にあふれていて、胎児のように真っ白だった。
ここからひとつずつ形作っていけばいい。
玄関先の木陰に置かれた小さな安楽椅子の中で、彼が眠っている。
その顔はひどく苦しそうで、悪い夢を見ているのがすぐに分かった。
こんなのはいつものこと。
「ほら起きて起きて。こんな所で寝るからよ」
私がいつものように強く揺すると彼はおびえたように目を覚まして、そしてすぐにほっとした顔で私を見る。
「ああ、ぼくはまた・・・ひどいこと・・・」
「それはただの夢よ、そんなの早く忘れて夕飯にしよ」
「うん・・・」
わたしはもうこの生活にすっかり慣れてしまって、目が覚めるたびに彼がどれくらいほっとしているかなんて想像したこともなかった。
「ああ・・・また会えたね、セリス」