「・・・どうしよう、こんなに降るなんて」

 

バロンから少し離れた森の中。

 

バロン軍仕官学校1年生のセシル・ハーヴィは途方にくれていた。

 

優等生の彼は、10日間に及ぶ野外訓練のチームリーダーに選ばれていた。

 

「他の5人はコテージで休んでいるはずだが」

 

水を求めて歩いているうちに突然の豪雨。

 

単独行動が規則違反なのは知っていた。

 

「だって、もう、我慢できなかったんだ・・・」

 

セシルは辺りを見回して、雨をしのげそうな洞穴に逃げ込んだ。

 

穴の中は真っ暗で何も見えないが、濡れずにすむほどの空間がありそうだった。

 

座る場所を探していると、温かいものが手に触れてセシルは思わず息を呑む。

 

ゴツゴツとした大きな男の手だった。

 

「あ、すいません。・・・人がいるなんて思わなくて・・・」

 

「いいえ・・・ここなら濡れません、さあ、どうぞ」

 

 

暗闇で相手の顔は全く見えないが、彼の低く優しげな声にセシルはすっかり安心してしまった。

 

「やみませんね・・・雨」

 

「そうですね、どんどん酷くなっていきますね」

 

ザー。

 

沈黙に耐え切れず、セシルが言った。

 

「・・・ぼくは、学校の実習で来たんです。」

 

「それは友達が心配しているでしょう」

 

「いいえ、そんなことないですよ、ぼくは嫌われてますから」

 

「なぜ?」

 

「・・・なんでもできるからです・・・優等生だから・・・陛下の・・・先生のお気に入りだから」

 

なぜ、初めて会った人にこんなことを打ち明けるのか。

 

セシルは自分が信じられなかったが、相手の男が静かに聞いているのでついつい10日間内に溜め込んだ悩みを吐き出した。

 

「自分たちは何もやらないくせに、ぼくが決めたことにはイチイチ文句を言って・・・」

 

ああ、こんなこと。

 

「・・・すいません、こんなこと」

 

「いいえ、いいですとも・・・我慢できないことは誰にでもあります」

 

「あなたみたいな大人の人にも?」

 

「ええ、私も逃げてきたんですよ」

 

男が静かに言った。

 

男の声は若々しいが子供のものではないので、セシルは驚いた。

 

悩むのは子供だけだとそれまで思いこんでいたのだ。

 

「私はときどき酷い憎しみに駆られます。世界を壊してしまいたいほどの。どこからか声が聞こえて、気がつくと酷いことをしているのです・・・今まで人やものをどれだけ傷つけたかしれません」

 

男の大きなからだが震えている。

 

「寒いのですか?」

 

「いいえ、哀しいのです・・・どこに行っても声が追ってくるのです」

 

セシルには男の哀しみを理解することなどできなかった。

 

ただ、大人になると今以上に深い悩みを持つのだということをなんとなく感じるばかりで。

 

「・・・きっと逃げ切れますよ、あなたは強そうだし」

 

「君は優しいのですね」

 

大きな雷音とともに閃光が走った。

 

「わあっ」

 

雷を何より恐れているセシルが両耳をふさいで縮こまる。

 

「ぼく、苦手なんです」

 

「ふふ、大丈夫ですよ、すぐに遠ざかりますから」

 

男は、まとっているマントの中にセシルを包んだ。

 

それは黒く、光を通さない厚い生地だった。

 

セシルは男の大きな胸にしがみついたままガタガタ震えていたが、やがて体が温かくなってくると安心して眠り込んでしまった。

 

どこか懐かしい感覚を覚えながら。

 

翌朝目覚めると男の姿はなく、セシルのからだには黒いマントがかけられていた。

 

雨はすっかりやんでいる。

 

「誰だったんだろう・・・あのひとは」

 

声から逃げる旅に出たのだろう、セシルは後に暗黒騎士の鎧の上にまとうことになる黒マントを宝物のように抱いて、仲間のもとに急いだ。



(2007.9.15)





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